また明日にと書きながら、数日
この日曜は横浜へ
ビジネスの新しい会計年度の始まりの大きな会議が開催されて参加。
で、バリの話。
この島の価値観は本当に日本と違っていて面白い。
(頭の固い人には、むかつくかも)
まず「バリ時間」なるものが存在していて、
日本人がいかに時間に縛られて生きているかを知らされる。
ヨーロッパのバカンスは数週間もあって、一時間ぐらいの誤差は、それは誤差ではない。保養に来ていてのんびり過ごすための観光地であるわけだから、時計を気にして動くなんてことは現地では「ありえない」こと(苦笑)
僕らについてくれたガイドさんのセールスポイントは
「僕たち時間厳守!」
なんとそれが売りになるという素晴らしいバリ時間!一時間や二時間は遅れにならず、
もとより本当に時間を守ってほしければ、何度も何度も電話をかけて催促するのがつとめ。時間を厳守して欲しいのはこちら側である。なのでこちら側に努力が必要という説明になぜか納得。
次に「価格」
現地の市場では商品に値札はついていない。
資本主義の理論といえば、「需要と供給」のバランスに基づく価格決定と教科書に書いている。日本ではそれが、どこかあいまいだ。
値段はその場で、交渉する。
市場全てが競りをしている感覚だ。
数日でその環境になれた僕たちは、集団交代価格交渉なるものを実践した。
ある店で商品を選定する。グループに別れて
別々に店に入り同じ商品を交渉する。
最終価格まで交渉して、ちょっと考えてくるねと店を出て、別の場所で調査価格を検討。これには爆笑した。「お前のとこ、いくらから始まった?」
「えーーー」「うちは最初35万ルピーいうたで」「うちは40やった」
「えー私んとこ28万」「入りの値段からバラバラやんか!」
欲しそうにしてたら高い。他の商品を色々見ていると安い。
他の店を見ながらだともっと安い。
しかも他の商品と抱き合わせやったり、数多く買うなら負けるとか条件もバラバラ
で、最低価格のグループの価格を元に、
みんな一緒に店に入ると今度は店の売り子が爆笑
「なんだみんなトモダチか!!」
「そう!トモダチ!トモダチ!」
「・・・OK!!OK!」
さらに価格交渉して購入。そして決済を終えて仲間がひと言。
「で、この鞄プレゼント、サービスOK?」
隣の店の売り子も寄ってきて爆笑!
とまあ、こんな感じで、しっかり資本主義の理論で運営されている(苦笑)
ゆるやかな時間のバリ、しかしバイクが暴走している幹線道路。追い越しも右から左から、自由自在。対向車線から追い越しで追い抜いてきて、ぶつかる!瞬間にひょいと切り抜ける。日本の暴走主義の若者よ!バリで身体を張って走行してみよ!
日本で暴走してるぐらいじゃ世界では「甘ちゃん、ちゃん」であるぞよ。
で、バリでは保険が異常に高いからほとんど保険には入っていない。
交通事故は頻繁にあるから(そりゃそうだろう)、骨折するとかは日常茶飯事で、しかも骨折したら、「マッサージ」でなおすという。
ガイドさん曰く、マッサージしてしばらく安静にしたら、骨つきます。すこし曲がるけどね(平然)
日本人は「なよい」な(そういう問題と違うかもしれんが)
バリでは身分階級が存在している。
宗教もイスラムとヒンズーが混在している(ヒンズーが多いらしいが)
職業も結婚も、階級を越えては非常に困難だそうだ。
そして一夫多妻。なのだか、、、経済的に多妻でやっていけるのは階級が高い人に限られていて、しかも最初の奥さんの許可が必要というが、制度が存在していること自体が価値観。素晴らしいというか、世界は多様であるというか。。。「遅れている」と短絡的にまとめるには多様な価値観。
最近世界から見た日本を感じるような情報に触れている。
フィンランドの義務教育期間は全くテストもなく、生きるための教育をプログラムしているそうだし、アメリカでは情報はインターネットを活用すればいいから、テストでインターネットを使って解答させていくシステムに切り替わった。インターネットから正確かつ信憑性の高い情報をいかに早く検索するかという科目がある。情報の「質」について分析する「情報使いのプロ」を育成しているし、各州ごとに重点育成科目が異なり、例えばカリフォルニアは栄養学。デトロイトは工業、ワシントンでは政治、ニューヨークは芸術、コロンビアは農業と特色の旗を立てて、各地から人材を集めている。韓国では、資源もない、経済的な優位もないということから、義務教育から「映画」「エンターテーメント」教育を国策として置き、映画省なる国の機関も出来ている。
俳優や監督、脚本、照明、音楽、大道具などの仕事を小学生から体験させて才能を育成し、ハリウッドでは多くの韓国人がその産業の各分野で活躍しはじめ、その効果が現れている。インドでは、階級制度を根幹に保持しながら、コンピューター産業の人材を国策として育成していて、今やグーグルやマイクロソフトもインド人人材が主要なプログラムを担う。南米ではサッカーが一つのスポーツという枠を越えて、重要な産業として国がサポートして小学校から各地域のクラブ、サッカー選手を育成しているし、フィリピンではバイオ産業人材と看護サービスの人材を。アフリカではまだ貧困と戦争が大陸を包み込んでいるが、高い階級の人々は留学で世界に飛び立っている。国を良くしたい!役に立ちたいという意思の力は、アフリカの青年が非常に強い。
さあて、日本人は何を??
世界では、「日本人は使えない」という評判らしい。
まず人件費が高い。言葉も日本語以外は得意ではない。海外では複数の言語を話すことは「普通」で履歴書にも書かない。(日本では英語が話せますとか履歴書に書くよね)特性が平均すぎて従順でリーダーに従うことは出来ても、集団を引っ張ることは出来ない。そして若年層では、身体が、メンタルが弱い。
今日本の高校や大学が教えていることは「何を目指しているのか?」
コンピュータの情報処理を勉強しているという大学生。その今学んでいるプログラムは数年先、全く使えないものになっている。
資格を取ります!という若者が多いらしい。世界からは「笑われている」
「あれ?日本では、インターネットは普及してないの?」
もうすでに、不動産、弁護士、薬剤師、医師の情報提供をするネットビジネスが始まっている。初期診断はネットでスタート。
日本ではボランティアや福祉の仕事、介護の仕事をと思っている人々も多いらしいが、数年後には、日本人よりもホスピタリティを専門的に学んで、ボランティア理論やチーム医療を小学生時代から勉強し、医師クラスの医療の勉強をしたフィリピン看護士が日本人よりも安い費用で、しかも上手に日本語を話しながら日本にやってくる。
車の組み立ては、ベトナム人が器用に早く勤勉にやり、そしてコンピュータは日本語を話せるインド人がプログラムする。
テレビや映画は韓国人が、スタッフとなり質の高い作品を作るようになり、そのうち車が自動で走行するようになる。
コンピュータ、機械と外国人に支配される日本。。。とは一変しないだろうが
日本の産業の一定割合がそうなる。
方や日本の若者は、引きこもり・フリーターとして活躍(するのかな>)
世界の価値観はスピードを持って動いている。
なぜなら世界は選択と集中という「生き残るための」戦略を持って人材を育成ている。選択して選んだ分野に国の経済がかかっている。だから一種のギャンブルだ。
だから相当「本気」でお金、理論、研究を「集中」してきている。
そう、もはや「平均的」な知識は、非常に競争力がない。
日本人の特性や文化、習慣を
ある意図を持って展開していく思考は、幕末を見てもなかなか難しかったようだ。
誤解を恐れずに言えば「外圧」に対応することで日本の生きる道を模索していくというプロセス。
日本に未来はない!とは断言できないし、いたずらに外国から遅れていると叫ぶ意図はない。
しかしながら、今の日本のある意味の「危機感」のなさ、何を目指しているのかという視点のぼけ加減は指摘していかねばなるまい。
価値観は多様である。
世界に通じる日本人は、日本社会から一種「外れて」いる人種であるという現状は、決して褒められた状態ではない。日本で評価されず、世界から評価されている人材が目についているのは、実は世界から見たら日本が特殊性あふれる変な価値観が存在する社会であるということ。
「勉強して良い学校に入って就職する。」
これは一つの道ではあるが、全部の道、唯一の道ではない。
目指すものがない社会は、鬱的な社会であって、
これは好ましくないと思う人は多いが、何を目指すのかの展望を思う人は意外に少ないと感じる。現状否定は出来ていても、ビジョンを示せる人材が希少であることは不幸である。
少し政治的なような内容になってしまった。
これは本意ではない。
異なるものがたくさんあって世界は成り立っている。
熱帯も南極もあるし、砂漠もジャングルもある。
日本の自然は美しいが、その美しい自然の周囲に「ミニ東京」が建設される。
うーん。
でたらめとか、いい加減とか、緩衝帯のようなものと
自由という名の「規律」の意味合いとか、哲学のようなもの。
耳障りのよいものだけを自由選択出来る国、日本。
なんか「軽く」「ふにゃふにゃ」なものに偏りすぎている、のではないか?
とはいえ、僕は全体主義には反対なので、反動的な
規律的、旧日本帝国的な復古主義にはこれまた懐疑的なものを持っているのだが。
価値観の多様なものを受容していけるのが一番ヘルシーな気がする。
ちょっとへりくつになった。
でも最近思う事。またの機会に読みやすくまとめてみたい。